プティマニスのジュエリーはほとんどが「銀線細工」(英語で"filigree"フィリグリー)という技法で職人が指先を使って仕上げたものです。
銀線細工、字の通りですが、銀を細く0.2mmのワイヤー、銀線にしたものを、少しずつ模様をかたどりながら巻き上げていき、すべてのワイヤーの接点を、一箇所ずつ800度を超えるバーナーでろう付け加工していく、とても原始的な、でも大変な手間のかかる技法です。
この際、もともと組み合わせた銀線の方が溶けないように、また銀蝋が滲んで銀線の模様が見えなくならないように仕上げるのが、熟練の職人の技です。
匠の勘と集中力で火の色を見ながら温度管理をしつつ、仕上げていきます。一瞬でも失敗するとろう付け跡が綺麗に仕上がらず、美しい透かし模様ではなくなるのです。
プティマニスのジュエリーは、そういったろう付け加工跡がほとんど見えない、熟練の高度な技を持つ銀線細工職人のジュエリーのみをお届けしております。
下記をご覧ください。プティマニスの工房の職人さんの
製造工程を写真にまとめました。
銀線細工の歴史は、はっきりとすべてがわかっているのではないのですが、古代エジプト文明の遺跡から出てきたジュエリーにフィリグリーらしきものがあるので、おそらく古くからその技法を人類は知っていたものと思われます。
その後、どういったルートなのかははっきりとはしていませんが、北アフリカやトルコ、北欧や東欧、スペインやポルトガル、東南アジア、南米などに小さな銀線細工の村や民芸品が各所に残っており、全世界に広まったことが考えられます。
日本では1500年代ごろ、長崎県・平戸から持ち込まれたと言われており、その名残で「平戸細工」と呼んでおられるおばあ様などもおられます。
その後江戸時代、平戸藩の江戸屋敷の近所に秋田藩屋敷があったらしく、そのご縁で技法が持ち込まれ、秋田に銀山があったことから、秋田県で銀線細工が栄えたとされています。そのため、今でも秋田県の県指定の伝統的工芸品となっています。
プティマニスでは、インドネシアのジャワ島、ジョグジャカルタの外れにある銀線細工の村に複数の職人を確保しております。
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とはいえ、現在ではおそらく本物の銀線細工をほとんどの方はご覧になったことがないでしょう。
ほとんどがごくわずかな作家さんの作品だけしか流通しておらず
一点物でしか見ることのできない大変稀少な細工です。
産業革命以降、特にこの70年間ほどで、手間暇のかかる銀線細工はあっという間に古い技法となり、その技術を継承する職人さんが世界的に減ってしまいました。
日本の秋田県ではもちろん、ポルトガルやスペイン、東欧などでも同様です。
なお、ビーズショップなどでみかける、手軽なハンドメイドアクセサリーのパーツで「フィリグリー」と呼ばれるものがありますが、あれは「フィリグリー風」の透かし模様というものです。プリントしたり、パンチング(型抜き)で作った安価な工業製品ですので、本物のフィリグリー・銀線細工ではありません。
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また、現代のジュエリーで透かし模様のデザインのものを見かけることもありますがそれらは
一般的に型をつくって、そこに金属を流し込んで作るキャスティング加工が主流です。
キャスティング加工も、熟練の宝飾職人さんの技が必要なものであり、また一度型を作ると同じ形のものが作ることができるという利点があり、現代人の趣向にあった宝飾技術といえます。
銀線細工の場合は、扱うことのできる金属も柔らかい金属しか使うことができず、またデザインにも様々な制限があります。
とはいえ、銀線細工は、熟練の匠の手先、指先によってのみ生み出すことのできる素晴らしく美しい、金属の透かし模様が楽しめる技法です。
銀線細工職人の究極の集中力を持って、目と指先と長年の職人さんの勘を頼りに加工した銀線細工ジュエリーは、世界中に2つと同じものはできません。
現代では安く大量生産できるものは誰にでも手に入るようになりましたが、匠の技でのみ作ることができる銀線細工という技法は、人類の歴史と英知の詰まったもので、是非とも未来に残すべき文化遺産だと、プティマニスは考えます。